Tuesday Meeting & Office : Hotel Okura Kobe
28 May 2008・No.37
PROGRAM
CLUB NEWS
☆ 2008年 6月3日(火)第752回

「 自己紹介 U 」

当番  堀田 俊之  会員

ATTENDANCE IS THE PRICE OF MEMBERSHIP

☆ 2008年 6月10日(火)第753回

「 各委員会委員長報告T 」

☆ 2008年 5月27日(火)第751回
「 職業奉仕と 智将 直江 兼続 」
 スピーカー
   税理士  笹倉  宜也 氏
 当番  プログラム委員会

 司会 橋本SAA
 点鐘 高橋会長
 ロータリーソング
 「 おお牧場は緑 」
  親睦活動副委員長 岩崎重曉会員
お客様紹介
  親睦活動委員 河村公逸会員
会長ゲスト
 神戸西神RC 丸尾研一ガバナー補佐
ゲスト スピーカー
 神戸西RC  笹倉 宜也 さん

BGM
 「 A Whole New World 」
 「 My One And Only Love 」
 「 Silver Balloon 」
  ピアノ演奏  森田 純子 さん
宇尾 好博 副幹事
会長報告
高橋 玲比古 会長
週末は埼玉県で開催された研究会に参加して参りました。その際に特別講演がありました。興味ある講演でしたのでお話ししたいと思います。
講演された人は、国立国際医療センターに勤務されていた山本麻由さんという26歳の若い女性でした。この方は昨年イグノーベル賞という国際的な賞を受賞されハーバード大学で記念講演もされたそうです。受賞となった研究内容は、牛糞に含まれる植物成分リグニンからバニラの芳香成分であるバニリンという物質を高圧蒸気で分解して抽出するのに成功したというものでした。この物質は実際にバニラの香りそのものであり、芳香成分として幅広く用いられているそうです。身近なところでは、アイスクリームなどの乳製品やチョコレートには欠かせないし、多くの香水にも使われているほどです。この抽出法によると、牛糞1グラムあたりから約50マイクログラムのバニリンが抽出できるそうです。砂糖1個(3グラム)と同じバニリンをつくるには、牛の糞がおよそ60キログラム必要という計算になります。人間の平均体重に相当するというから、かなりの牛糞の量です。近年産業廃棄物の処理は大変ですが、牛の糞も例外ではなく農家の方々も大変苦労されておられるようです。この方法は従来のようにバニラ 豆から精製するよりは、コストは半分程度だそうで、リサイクルなど資源の有効利用という点からも評価されたようです。授賞式では、ノーベル賞受賞者の偉い先生方にも、牛の糞からつくったバニリン入りのアイスクリームが配られたとそうですが、食物としては(香水としても?) あまり使いたくない気もします。本日は以上です。ありがとうございました。
幹事報告
紀伊國谷 隆 幹事2008.5.27
  1. 1.来週、6月3日(火)例会終了後、理事会を開催します。理事・役員の方は、お残り下さいますようお願いします。
  2. 以上
出席委員会
出席委員会委員長 岡田 利夫 会員
  5/27  30 (1名MAKEUP)  31/40  77.50%
  5/20  28 (4名MAKEUP)  32/40  80.00%
  5/13  27 (5名MAKEUP)  32/40  80.00%

卓 話
「 職業奉仕と 智将 直江 兼続 」
 税理士  笹倉 宜也 氏
直江兼続(なおえかねつぐ)

戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。上杉氏の家老。
父は長尾政景に仕えた樋口兼豊(木曽義仲の重臣樋口兼光の末裔という)、母は信州泉氏の娘(直江景綱の妹説もある)。仙桃院(謙信の実姉で景勝の母)の推薦で、幼い頃から景勝に近侍していたといわれるが、当時の様子が窺える史料は皆無であり、父・兼豊の身分についても見解が分かれている。「藩翰譜」によれば兼豊は薪炭吏だったという。のちに重光と改名するが、初名の「兼続」と呼ばれることが多い。

謙信時代
通説では、兼続は永禄3年(1560年)に樋口兼豊の長男として生まれ、永禄7年(1564年)に長尾政景が死去すると、謙信の養子となった上杉景勝(当時の名乗りは長尾顕景)に従って春日山城に入り、そのまま景勝の小姓・近習として近侍していたとされているが、これを立証し得る史料は存在しない。

直江家相続
天正9年(1581年)、景勝の側近である直江信綱と山崎秀仙が毛利秀広に殺害されるという事件が起きると、景勝の命で直江景綱の娘で直江信綱の妻であったお船の方の婿として結婚(お船の方にとっては再婚)し、跡取りのない直江家を継いで越後与板城主となる。

豊臣政権時代
天正15年(1587年)、新発田重家討伐で武功を挙げ、天正16年8月17日(10月7日)には関白太政大臣豊臣秀吉から豊臣の姓を授けられ、あらためて山城守の口宣案を賜る。天正17年(1589年)の佐渡征伐、天正18年(1590年)の小田原征伐、文禄元年(1592年)からの朝鮮出兵においても、景勝と共に参陣して武功を挙げた。上杉領となった庄内地方においても大宝寺城の改修や、一揆の制圧などを取り仕切った。
慶長3年(1598年)、秀吉の命令で景勝が越後から会津120万石に加増移封されると、兼続には出羽米沢に6万石(寄騎を含めると30万石)の所領を与えられている。

関ヶ原
慶長3年8月18日(1598年9月18日)に秀吉が死去すると、次の天下人として徳川家康が台頭するようになる。石田三成と懇意にあった兼続は、家康との対立を決意する。そして徳川家との融和を主張した上杉家重臣・藤田信吉と対立して追放に追い込み、さらに家康の度重なる上洛要求も拒むなどして、やがて関ヶ原の戦いの遠因となる会津征伐を引き起こした。
このときに家康を激怒させ、会津遠征を決意させる直接のきっかけとなった直江状の筆者として有名であるが、文面自体は後世の偽作であるともいわれている(家康家臣の日記等から、上杉側から何らかの返書があり、これを見て家康が激怒したこと自体は確かなようである)。関ヶ原の戦いでは、兼続は東軍に与した最上義光の領地である山形に、総大将として3万人の精鋭を率いて侵攻した。その頃、美濃では関ヶ原本戦が行われていた。本戦で西軍が敗れた事が奥州に伝わると、上杉軍は長谷堂城攻略を中止して撤退を開始した。勢いに乗った最上軍と義光救援のために伊達政宗が援軍として派遣した留守政景軍が追撃してきて激戦になるが、水原親憲、前田利益ら上杉勢の諸将の奮戦もあって、米沢への撤退に成功した。この撤退戦は語り草となり、兼続は敵である義光、家康にも称賛されたという。結果として上杉軍の最上侵攻は、山形の攻略が成らなかったばかりか、逆に反撃に出た最上軍に庄内地方を奪回され、また伊達軍の福島侵攻を誘発した。

江戸時代
慶長6年(1601年)7月、景勝とともに上洛して家康に謝罪する。家康から罪を許された景勝は出羽米沢30万石へ減移封となり、上杉氏の存続を許された。
その後は徳川家に忠誠を誓い、慶長13年1月4日(1608年2月19日)に重光に改名する。そして米沢城下に堤防を築いて町を整備し、殖産興業・鉱山の開発を推進するなど、米沢藩の藩政の基礎を築いた。その一方で上杉家と徳川家の融和を図り、本多正信とも交流があり慶長14年(1609年)には正信の取り成しで10万石分の役儀が免除されるなど上杉家に大きく貢献している。また、正信の息子である本多政重が一時兼続の養子となっていた時期がある。政重とは養子縁組が解消されても親交が続いている。
慶長19年(1614年)からの大坂の陣においても、徳川方として参戦し、武功を挙げた。
元和5年12月19日(1620年1月23日)、江戸鱗屋敷で病死した。享年60。

死後
兼続の死後、兼続の息子の早世や本多政重(後に加賀藩前田氏家老5万石)との養子縁組の解消などが原因で、直江家は断絶する事になったが、「上杉家の減移封を招いた責任を感じていたため」、「高禄の直江家の知行を返上することで少しでも上杉家の財政を助けるため」に、意図的に兼続が直江家を断絶させたとする説がある。兼続が亡くなった際には上杉景勝から銀50枚、徳川秀忠から銀70枚が送られた。

人物・逸話
  • 主君である上杉景勝を補佐し、豊臣秀吉から山城守・山形30万石の贈与などの引き抜き行為を幾度も断るなど、忠義に厚い名将として知られている。
  • 「愛」という字を前立にあしらった兜をかぶっていた。「愛」は「愛染明王」又は「愛宕権現」からの由来といわれているが実際は不明。
  • 「常山紀談」では、「大男にて、百人にもすぐれたるもったいにて、学問詩歌の達者、才知武道兼ねたる兵なり。恐らく天下の御仕置にかかり候とも、あだむまじき仁体なり」とあり、それに続いて「長高く容儀骨柄並びなく、弁舌明に殊更大胆なる人なり」と、兼続を高く評価している
    以上
   当番 プログラム委員会 委員長 内波 憲一 会員

委員会報告
親睦活動委員会
副委員長 岩崎 重曉 会員
 来たる6月4日(水)18:30〜 会費¥7,000−、雲井通 神戸マークラービルB1F 「木曽路三ノ宮店」にて茂木立会員・米田会員の新入会員歓迎会を開催いたします。多くの皆様のご参加をお待ちしております。
その他報告
スピーチ
丸尾ガバナー補佐

中クラブを久しぶりに訪問させていただきました。私のガバナー補佐としての任期も残り少なくなってまいりました。さて、ロータリークラブという呼称の「クラブ」という言葉に焦点をあててみますと、歴史上最初に「クラブ」という概念を創出したのはシェークスピアであったといわれております。シェークスピアの言葉によりますと、趣味を同じくする同士が集まりロンドンの「マーメイドターバン」というクラブにおいて会食を楽しみながら少しでも世の中を善くする事柄をかたりあったことから「クラブ」という定義を創出したということです。この定義に則りロータリーライフを大いに楽しみましょう。
同好会報告
ゴルフ同好会
報告者 鳥巣 悟 会員

 次回なかよし会、淡路島の「洲本カントリー」にて7月22〜24日あたりに開催いたします。
 詳細は決まり次第お知らせいたします。

ニコニコ箱の報告
副SAA 内波 憲一 会員
 丸尾  研一ガバナー補佐(神戸西神RC)
          久しぶりの訪問となります。よろしく
 笹倉  宜也 さん(神戸西RC)
          本日卓話させて頂きます。
 高橋(玲)さん  丸尾ガバナー補佐、笹倉先生、中ロータリークラブへようこそ。
 紀伊國谷 さん  ようこそ 丸尾ガバナー補佐。
          笹倉さんピンチヒッターよろしくお願いします。
 角田   さん  お久しぶりです。
 山中   さん  暖かくなりました。
 寄神   さん  トルコ カッパドキア〜アンカラ〜イスタンブールへ
          仕事出張してきました。
 河村   さん  丸野さん 畑さん この度は有難うございました。
 大田   さん  欠席が続きまして、申し訳ありません。
          本日も所用のため早めに失礼致します。
 丸野   さん  河村さん、車ありがとう。
 橋本   さん  丸尾研一ガバナー補佐様 ようこそ中RCへ
 鳥巣   さん  河南さん お世話になりました。
 岩崎   さん  丸尾ガバナー補佐ようこそ中クラブへ
 内波   さん  笹倉さん ありがとう。

『友』インターネット速報     2008年5月27日  NO.335
 シェルターボックスとロータリアンが中国の被災地に到着
5月12日に発生した中国での大地震の被災者を支援するため、400個のシェルターボックスが被災地である四川省に届きます。この地震では5万人以上が死亡し、500万人以上がホームレスになっているとされ、現在、これとは別に400個が搬送されています。
このシェルターボックスは、世界中のロータリークラブが支援するイギリスを中心とした災害支援組織によって運営されており、各ボックスにはテントやコンロ、浄水キット、道具などが収められ、家族10人が半年間生活できるようになっています。中国政府の要請を受け、さらに1,700個のテントを供給するとともに、3人の専門チームが現地入りして支援活動を行っています。
また、被災地から900マイル(約1,450km)離れた北京ロータリークラブの会員たちは、地震の翌日に開かれた例会で、会員から1,000ドル以上の寄付を集めるとともに、今後、被災地の支援策として、4,000ドル分のベビーフードの配給と義援金集めを計画しています。

 「ロータリージャパン」ホームページ情報
『ロータリーの友』6月号の要旨を、28日に掲載する予定です。6月号では、ロータリー親睦活動月間にちなんだ特集を組んでいます。6月号要旨は、「ロータリージャパン」の日本語ホームページ
http://www.rotary.or.jp/contents.html
から入り、画面中段にある「ロータリーの友6月号」をクリックしてご覧ください。

今後の卓話予定
6月  6/ 3 第752回 「 自己紹介 U 」当番  堀田 俊之  会員
     −Menu− かぼちゃのクリームスープ 豚肉のソテーミラノ風 他
    6/10 第753回 「 各委員会委員長報告T 」
    6/17 第754回 「 各委員会委員長報告U 」
    6/24 第755回 「 四役退任挨拶 」会長・副会長・SAA・幹事

本日のロータリーソング・BGM
6/3
 ロータリーソング
  「 君が代 四つのテスト 」
 BGM
  「 タイスの瞑想曲 」
  「 星に願いを 」
  「 さらば夏の日 」