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週報一覧

No.24  2012年1月11日号

前週の報告①

☆2012年1月10日(火) 第916回

卓 話  「 私のトモダチ作戦2011 」
                
当 番   髙橋 玲比古 会員

司  会  髙井 敏郎 SAA
点  鐘  河南 和幸 会 長
乾  杯  寄神 正文 副会長

前週の報告②

ロータリーソング
親睦活動委員委員 岩野 昭 会員
「 君が代 」
「 奉仕の理想 」

BGM
「好きにならずにいられない」
「想い出のサンフランシスコ」
「魅惑のワルツ」
 ピアノ演奏 森田 純子 さん

会長報告

河南 和幸 会長

皆様 おけましておめでとうございます。穏やかにお正月を迎えられたと思います。年賀状を頂きありがとうございました。あと半年会長職をがんばれという励ましのお言葉を多数頂きました。

辰年に因んで竜頭蛇尾という言葉を思い出しました。頭は竜のように立派なのに、尾は蛇のようにか細くて、前と後とのつりあいがとれない意から、初めは勢いがよいが、終わりのほうになると振るわなくなること。そうならないように20周年記念事業もありますので、がんばってゆきたいと思っています。ご協力お願いいたします。

お正月に箱根駅伝を見ておりました。私の母親が大ファンで毎年テレビの前から離なれません。お正月の我が家の風物詩であります。母親が知っている篠山からの選手は以前は知り合いの息子さんでしたし、今はお孫さんが駅伝に出ているので応援をしている訳です。私もつられて見ておりましたが、その中で、山の神と言われております、福島出身の東洋大の柏原竜二選手が自分の持つ区間記録を更新して優勝に貢献しました。彼のインタビューで、心に残った言葉がありました。「私の苦しいのは僅か1時間少しですが、福島の人たちはずーと苦しんでいるのです。私の苦しいことなど「苦しい」内には入りません。」ということでした。暖かい部屋でボケーと幸せにテレビを見ている自分が少し恥ずかしくなりました。今年も何かの形で応援して行きたいと感じた新年でした。

会長には多くの情報が寄せられます。“1を聞いて10を知る”というような才能はありませんが、知らないことや不確実なことは皆さんにお伝えできません。“10を知って1を語る”の言葉のように確実な情報を報告したいと思っています。

幹事報告

野田 浩二 幹事

1.今月のロータリーレートは、1米ドル=78円です。
  
2.インターアクトクラブの主催で仙台育英学園高校生徒と兵庫県の
  高校生との交流会が2011年12月28日より30日まで神戸
  で開催され当クラブの山口会員が阪神大震災時のボランティア
  活動を講演しました。12月29日付の神戸新聞に掲載されまし
  たので回覧します。

3.ロータリー米山記念奨学会より2011年度下期普通寄付金の
  お願いが来ております。

卓話

「 私のトモダチ作戦2011 」

当 番   髙橋 玲比古 会員

皆さん、こんばんは。
昼間、仕事に忙しくされてロータリーにやってきてお食事を済まされて眠たいかたも多いとは思いますが、最後までよろしくお願い申し上げます。

前回、ここでお話させていただいたのは一昨年の10月のことでした、トルコと日露戦争のお話をさせて頂きました。私の思い過ごしかもしれませんが、あの話はとても評判が良かったです。調子に乗って、よそでもしゃべりましたが、やっぱり大評判でした。本当に昨日のように鮮明に覚えています。二回目の時のことも本当によく覚えています。みなさんも覚えておられるでしょうか?だめですか?それにしても、人の記憶というものは大変不思議だとおもいます。全く忘れてしまっていることがあると思えば、絶対に忘れないこともあります。結婚する前に付き合っていたガールフレンドの誕生日は思い出せなくなっても、その後に結婚した奥さんの誕生日をおもいだせない人は普通いないと思います。また、子供の頃の記憶も、鮮明に覚えていることもあるし、暖昧なこともあります。私はと申しますと、未だかつて、妻の名前は忘れたことはありません。もちろん誕生日も覚えています。また、昔のことで言うと初めて西須磨小学校に転校した日の朝のことはなぜか鮮明に覚えています。皆様にも同じような、日が何日もあると思います。このように過去に起きたことで、記憶の強いところと弱い所が存在する現象がなぜおきるのか、医学的にはまだはっきりと解明されていないようです。私も医者の端くれですが、こういうことは全くの専門外で、皆様の前で、これから30分間お話が出来るような専門的知識を一昨日までは、持ちあわせてはおりませんでした。それにもかかわらず、どうしてこの日この夜、偉そうにここにたってお話が出来るかと申しますとそれはインターネットのおかげなのです。インターネットの時代、とても便利で簡単に知識を身につけることが出来るのです。たとえそれが、うわベの知識であったとしても、本当にありがたい事だと思います。今回はヤフ一知恵袋で調べて見ました。素人さんの質問に対して、明らかに専門家と思える方が回答してくれるのです。以前も京都大学の数学の入試問題を試験場から受験生が携帯で知恵袋に投稿し、時間内に専門家が回答するという不正で大変話題になったあれです。で、その知恵袋で少し調べて見ました。

その結果、今からお話するようなことが判明いたしました。それは、人間の記憶というのは、脳細胞に蓄えられるのではなくて、それは神経細胞の結びつきの中で、ある情報が行き交う回数が増えれば増えるほど、記憶が確かになっていく仕組みがあるそうです。その仕組みはニューロンのネットワークの変化、すなわちニューロン同士のつながり方が変化することが、学習や記憶に関係していることがわかってきました。1940年代後半に、心理学者のへブは「ニューロンの活動によってニューロン同士のつながり方の強さが変わり、ニューロンのネットワークが変化することが学習であり、そのネットワーク変化が持続することが記憶ではないか」という説を提唱しました。シナプスに繰り返し電気信号が通ることによって、長時間にわたってシナプスを通る情報の伝わり方がよくなる現象を「長期増強」といいます。また逆に、長時間にわたって情報の伝わり方が悪くなる現象を「長期抑圧」といいます。へブの仮説以来、学習や記憶にはこれらの現象が関係していると考えられてきましたが、実際に「長期増強」や「長期抑圧Jを見つけることは難しいことでした。発見に向けて世界中の研究者がしのぎを削っていたのですが、ついに1973年、アメリカのブリスとレモが「ウサギの脳の海馬という部分で長期増強を発見した」という研究成果を発表しました。その後、長期抑圧も発見されました。なぜ長期増強がおきるのかについては、論争が続いています。「情報の送り手のニューロンからの神経伝達物質が増える」という説と、「神経伝達物質の量に関係なく、情報を受け取る側のニューロンのレセプターの感度や数が増える」という説があります。はっきりしたことはよくわかっていないのですが、おそらくその両方が共に関与していると考えられています。いずれにしても、ニューロンの新しいネットワークが形成されることによって、私たちは物事を学習し、記憶することができるそうです。ここで皆様の記憶をテストさせていただきたいと思います。どうか、身構えないでください。大したことではないんです。とても簡単なことです。去年の3月11日、地震の日みなさんはどうされておられましたか?覚えておられない方は少ないと思います。では、その前日の3月10日はいかがでしたでしょうか?私は全く思い出せません。多分みなさんも同じではないでしょうか?私が3月11日の地震を知ったのは、その日の夕方になってからでした。ちょうど、名古屋からある先生が当院に不整脈治療の講演に来られることになり、先生をお待ちしていたところ、新幹線のダイヤが大幅に乱れて来られないかもしれないと聞いとき初めて地震があったことを知りました。その日、その先生と食事をしてホテルまで送り届けて、家に帰ったのが11時を回っていたと思うのですが、その時にテレビをつけて初めて津波の様子を知りました。本当にびっくりしました。翌日12日土曜日にはなにをしたかはよく覚えていませんが、13日の日曜日の朝、妻にY先生は大丈夫かと聞かれました。Y先生というのは、私の仕事上の付き合いの深い先生で青森県のおおきな病院に務めている心臓専門のドクターです。私が多分元気だろうというと、愚妻は、呆れたように『あんたは本当につめたいね~』と言いました。

いささかショックを受けました。で、ちょっと恥ずかしくなりました。ロータリーの会員としても恥ずかしい気持ちになりました。早速に先生の携帯に電話すると、うまく連絡がとれました。声はお元気そうでした。ただ病院が停電していていること、治療用につかうカテーテルや造影剤など物が入ってこなくて困っていると言っていました。妻の一言で、深く反省した僕は青森に先生を訪ねて行くことにしました。インターネットで見てみると、二日後の3月15日火曜日、JAL便の青森行きに空きがあることを見つけました。ロータリーの日でしたが、休んで訪ねることにしました。兵庫医大病院の先生と一緒に訪ねることにしました。15日朝、神戸大丸の地下で買った味噌漬けの牛肉や神戸のお菓子、果物、下村の焼き穴子そしてカテーテルを持って伊丹空港に行きました。トランク2つに大きな段ボールが3つそしてカテーテルの入った長い筒でした。誰が見ても重量もサイズも完全にオーバーです。自分の体重より重い荷物です。でも、時期が時期だけに僕の引越し荷物ではないことは明らかです。おまけに乗客は人がよさそうな紳士です。JALの地上職員の方は何も言わずに全部積んでくれました。長尺物のカテーテルの箱には取り扱い注意のシールまで貼ってくれました。再建途上にあるとはいえ、株価は1円といえ、さすがはナショナル・フラッグ・キャリアです。黙々と荷物にシールを貼る地上職員の方の姿に、僕はこの会社の品格を感じました。飛行機は何事も無く青森空港につきました。先生は病院でしごとをされておられて、お知り合いの方が迎えに来てくれていました。青森は、街全体がシーンと静まり返っていました。もちろん外国の地震の後みたいな暴動や略奪なんてありません。走っている車はまばらです。平日でしたが大型トラックが全く走っていません。燃料の軽油が全く底を付いているのです。幹線道路、ところどころとても長い車の行列がありました。何百メートルも車が並んでいるのです。ガソリンスタンドに向かう行列です。しかもそのガソリンスタンドは閉まっているのです。皆さん、エンジンを切って、寒い中いつ開くかわからないガソリンスタンドの前でじっと待っているのです。本当に大変なことだと思いました。2日ほど停電はあったようですが、病院には地震による直接的な被害はないようでした。Y先生はとても喜んでくれました。とてもとても喜んでくれました。そしてあまり喜ばれたのか、寿司ーという全国版のグルメ雑誌にも乗っている超高級寿司屋に連れていってくれました。どのくらい高級かというと、それはそこの寿司を食べるためだけに青森を訪れても後悔はしない寿司屋と雑誌に紹介されているぐらいの寿司屋さんです。お値段は半端ではないはずです。初めてでした。そこはひっそりと静まり返ってしていました。ご主人は奥で支度をしていました。最初、奥さんが相手をしてくれました。奥さんがビールを持ってきてくれました。一緒に行った兵庫医大のM先生が、地震でも魚は入ってくるのですねと言われました。見ると確かに、カウンターの向こうにはネタがたくさん並んでいました。奥さんがいいました。地震からこっち水揚げはなくて、魚は全然入っていないのと。ええっと・・・今日は15日なので、4日前のお魚ですねえ。一瞬、なんて言っていいのか迷いました。お寿司を食べました。美味しかったです。泊まったホテルはエレベーターが1つだけ動いていて、暖房も11時頃には切れました。でも、不思議と寒さは感じませんでした。

続いて、震災から2週間後の3月27日の日曜日に福島県いわき市の病院に行きました。そこに務めているY先生を訪ねるためです。Y先生も心臓専門の先生です。この福島行きはなかなか大変でした。大阪から飛行機で福島空港までは行けるのですが、そこから先の交通手段がないのです。仕方が無いので、神戸から自分で車を運転していくことにしました。地元警察で緊急車両の証書をもらいました。僕は警察に顔が効くのです。(うそです)。行き先と目的を警察署の受付で話ししたら、瞬く間に発行してくれました。買ったばかりのプリウスで行くことにしました。阪神高速若宮の料金所でその緊急車両の証書を見せました。びっくりしました。ただなんです。おまけにご苦労様ですと言われました。なんか使命感みたいなものが湧いて来ました。プリウスは本当に優れものです。いくら飛ばしてもリッター20キロ以上走るのです。須磨から出発して、浜名湖でガソリンを入れましたが、13リッターしか入りませんでした。そこから、福島までいって東京まで引き返しでもまだまだ走れそうでした。びっくりしました。東京を過ぎ、埼玉県、茨城県に入りました。天気はとても良くて風景はとても奇麗です。のどかな日本の原風景です。しかし走っている車は救援車両がほとんどです。時折、警察や自衛隊の車両がものものしく走って行きます。東北自動車道の通行止め直前の「いわき湯本」でおりました、目指すはいわき共立病院という公立病院です。車が時々走っていますが街はガラガラです。自衛隊の車も見かけました。車を運転している人もマスクをしています。病院の先生方は、ご家族を東京などに実家に避難させて単身で、残っている人が多かったです。また若手の先生の多くも避難させて、だいたい年齢50以上のドクターが残って働いている状態でした。数値はもう忘れましたが、病院の中と外では4倍ぐらい大気中の放射線量の高さが違うのでなるべく外に出ないようにしているとのことでした。建物はちょっと古い病院ですが、カテーテル検査室は2月に新機種を入れたのを契機に改装して空調もそこだけは最新式でした。換気扇も最新式で、外の空気を取り入れて熱交換して中の空気を出す仕組みでした。ですから換気扇を入れると、外気が取り込まれ、たちまち室内の空気中の放射線の濃度が上がるということでした。こわいと思いました。震災以来ほとんど孤島状態で、外部からの訪問者、少なくともドクターは僕が初めてみたいでした。病院長の先生にも面会させていただき、そのあとに皆さんと医局で話をしました。皆さん、身の回りに起きた出来事を口々に僕に順番に話して来られるので、ああ、こうやって話を聴いて差し上げることでちょっとは僕も役にたってになっているのかなとも思い、来たかいがあったなあと思いました。話を聞いていました。そしてずっと話を聞いていたかったです。でも、はなしを聞いている向こうで、写っているテレビの画面は、ニュースでここからそう遠くない福島第一原発の2号機タービン建屋水たまりで、運転中原子炉の1000万倍濃度の放射性物質検出と伝えていました。病院で患者さんの為に残って働いておられる先生たちには本当に悪いですけど、いまだから正直にいいますと僕は怖かったです。結局その日のうちに帰る計画だったのでそのまま帰ることにしました。皆さん、大気中の4倍の放射線量も気にせず、駐車場まで見送りに出てきてくださいました。プリウスのバックミラーを見ると、みなさんはその姿が小さくなるまで、手を振って見送ってくれました。その日は、結局一日で1400キロ走りました。でも気が張っていたのか、ふしぎと疲れませんでした。余談になりますが、ちょうど僕が磐城共立病院に着いて、先生が出てくるのを待っているときに日本テレビの車がやってきました。病院の前もまばらだったので、僕に話しかけてきました。神戸ナンバーのプリウスは珍しく、神戸からお見舞いに来たといったら、是非取材させてくれと言われました。丁重にお断りしましたが、彼らはその後、熱心に病院の中で取材をしていました。あとで聞くと、実際に取材にきたのはその日の日本テレビが初めてだったそうです。それまでは、あの天の声の大新聞もあの皆様の放送局も全部電話取材で済ましていたようです。病院がとても忙しい時に、東京のデスクから電話取材・・・で、さも行ってきたかのような記事や放送・・・自分が現地に行ったから言う訳ではありませんが、そういうマスコミの感覚はどうかしていると思いました。もちろん日本テレビは別ですけど。次に三週間後の4月2日に八戸にいきました。八戸で心臓専門の病院を開業しているK先生を訪ねて行きました。あまり病院をあけられないので、午前中の外来が済んでから日帰りで行きました。羽田で乗り換えて、三沢空港についたらもう日が傾いていました。3週間が立っていたのでだいぶ落ち着いておられました。タクシーを待たせておいてお見舞いをして、とんぼ返りでまた三沢空港に戻りました。帰りは三沢空港から、羽田乗り継ぎ最終の大阪行きである、関西空港行きで帰る計画でした。強風の為に三沢から羽田行きはだいぶ遅れていました。関空便への接続がギリギリでした。そこで待つように言われ、飛行機は5人ぐらいの関空行きの人が載っていました。なかにお一人、帽子をかぶって小さなリュックを背負った上品なお婆さんがおられました。杖は持っておられませんでしたが、本当に小さなおばあさんでした。JALの地上職員がふたりいました。一人はベテランの人で僕達をどうやって関空行きの便の離れたゲートまで、早く運ぶかどこかの誰かとトランシーパーではなしておられました。もう一人の若い方の職員が、お婆さんに訪ねました。たぶん「ご旅行ですか」とかなんか言われたと思うのですがあまり聞こえませんでした。でもそのあとに、おっしゃった一言は僕の頭のなかのシナプスのつながりを大きく変えました。地震のあと津波で家をさらわれて避難所にいたんだけど、今から大阪の娘の家にいくのと。その地上職員の人は、なにもそれ以上ははなしませんでした。けっきょく僕達はバスにのって大急ぎで関空便のゲートまで行き、飛行機に乗り込みました。関空までは穏やかなフライトでした。私の尊敬するとても偉い先生は、仕事も海外出張も取りやめて岩手県の気仙沼市の病院で6日間、避難所での診療活動をされました。私はそんなことはできませんでしたので、直接被害を受けた人と話をしたのはそのお婆さんが最初で最後でした。でも本当に気の毒に思いました。というわけでございまして、最近物忘れが激しくなって、先日もソウルに出張したときにホテルの金庫にパスポートを忘れて、僕って大丈夫と不安になった今日この頃ですが、そんな僕でも、神経細胞のネットワークが激しく組み立てられて、と本当にたくさんのことをおぼえている3. 1 1のお話でした。ご清聴ありがとうございました。

出席報告

☆出席委員会  岡田 利夫 委員長

1/10   27名(1名MAKEUP) 28/38 73.68%
12/27   30名(0名MAKEUP) 30/39 76.92%
12/20   27名(3名MAKEUP) 30/39 76.92%

委員会報告

☆親睦活動委員会  國田 正博委員長

 <結婚記念日紹介> 大田  宥 会員
           野田 浩二 会員

 <誕生日  紹介> 志磨 憲一郎 会員
           内波 憲一  会員
           茂木立 仁  会員
           山田 恵子  会員

  おめでとうございます!!
  細谷眞弓会員歌唱指導のもと全員でハッピーバースデーソング斉唱。

その他の報告

☆20周年記念事業  寄神 正文 実行委員長

アナウンス済みですが当記念事業の一環として寄付金をオーストラリア・メリマック小学校に届けてまいります。3月15日夜発、3月20日夜帰着予定です。

ニコニコ箱

☆副SAA  北田 義光 会員

細谷   さん  初春のおよろこびを申し上げます。
         本年も宜しくお願いします。 
高橋(玲)さん  あけましておめでとうございます。
         本日卓話です。 よろしくお願い申し上げます。
山中   さん  お目出とうございます。
大田   さん  御目出度ございます。新年もよろしくお願い致します。
河南   さん  皆さん あけましておめでとうございます。
         本年も宜しくお願いいたします。
岩崎   さん  みな様 新年おめでとうございます。
國田   さん  明けましておめでとうございます。クリスマス家族会
         大勢の参加有難うございました。
奥田   さん  Happy Merry Christmas! 今年もお世話になりました。
         来年も宜しくお願いします。
真野   さん  新年を祝して 良い年であります様に
奥田   さん  明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。
吉井   さん  2012年が良い年であるよう願っています。皆様 本年もよろしく。
松原   さん  あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
河村   さん  新年明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いします。
髙井   さん  本年も宜しくお願いします。
橋本   さん  新年あけましておめでとうございます。
髙橋(邦)さん  新年、明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしく。
紀伊國谷 さん  あけましておめでとうございます。
岡田   さん  皆様、明けましておめでとう御座います。
         今年も宜しく御願いします。出席も頑張って下さい。
内波   さん  昨日で、55才となりました。あけましておめでとうございます。
角田   さん  今年もよろしくお願いします
野田   さん  幹事も後、半期 よろしくお願いします。
岩野   さん  今年も宜しくお願いします。
北田   さん  明けましておめでとうございます。
         本年もニコニコ箱の方よろしくお願いします。

例会予定

☆プログラム委員会  畑 幸弘 委員長 

1月31日(火) 第919回例会 「2月の世界理解月間に因んで」
                当 番 国際奉仕委員会 平山 一哉 委員長
2月7日(火) 第920回例会  卓 話 「 会 員 卓 話 」
                当 番   宇尾 好博 会員
2月14日(火) 第921回例会  卓 話 「 会 員 卓 話 」
                当 番   山田 恵子 会員
2月21日(火) 第922回例会  卓 話 「 会 員 卓 話 」
                当 番   吉井 邦弘 会員
2月28日(火) 第923回例会  卓 話 「 3月識字率向上月間に因んで 」
            社会奉仕委員会  奥田 祐司 委員長

本日のRCソング・BGM

RCソング
「 スキー 」

BGM
「 When A Man Loves A Woman 」
「 If We Hold On Together 」
「 追 憶 」

岩﨑 重曉 副幹事
siggate@gmail.com

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