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週報一覧

No.30  2017年3月1日号

前週の報告①

☆2017年2月28日(火) 第1149回

「 外国人から見た日本人 」

スピーカー 笹倉会計事務所 所長 笹倉 宣也 氏 

当  番  内波  憲一 会員

司  会  岩野   昭 SAA
点  鐘  紀伊國谷 隆 会 長

RCソング
「 うれしいひな祭り 」

前週の報告②

お客様紹介
 親睦活動委員長  橋本 猛央 会員

お客様
 神戸RC  坂井 信也 さん
 ゲストスピーカー
 笹倉会計事務所 所長 笹倉 宣也 氏

BGM
「 Days Of Wine And Roses 」
「 When You Wish Upon A Star 」
「 Du Soleil Plein Les Yeux 」

会長報告

☆紀伊國谷 隆  会長

週刊東洋経済に「非常識の組織論」というページがあります。元海上自衛隊の特殊部隊の特殊戦の指導者、伊藤さんが毎週寄稿されています。

常に死ぬということと向き合ってきた人の考え方は、意外性があって、非常に面白くて、毎週楽しみにしています。特殊部隊の隊員には、アメ・ムチが効かない。十中八九生還できない任務を前にムチは無力です。伊藤さんは、港の定食屋のおばさんに言われた「いつも、守ってくれてありがとね。」という言葉に動かされた、と書かれていました。感謝の気持ちを伝えることが、心地よくもピリッとした緊張感を与え、人を動かすそうです。

幹事報告

☆大谷 秀明 幹事

1.3月4・5日の第2680地区2016-17年度地区大会のプログラムが届いております。
  参加義務者の方々に後程お配りします。

2.地区補助金プロジェクト見学訪問のご案内が届いております。

  実施クラブ:西宮恵美寿RC
  プロジェクト名:震災支援として被災地中学生とのスポーツ交流
  日時:2017/3/11 9:00&#1231616:30
     2017/3/12 9:00&#1231613:30
  場所:武庫川女子大学体育館
  メークアップ可

3.兵庫県立美術館より招待券が届いております。
  事務局に置いておきますのでご興味のある方はお持ち帰り下さい。

卓話

「 外国人から見た日本人 」

ゲストスピーカー 笹倉会計事務所 所長 笹倉 宣也 氏 

当  番  内波  憲一 会員

― 日本の心 ―
-フランシスコ・ザビエル-
宣教師 足利幕府末期・戦国時代来日
-本国スペインへ宛てた書簡-
先ず第一に、私たちが今まで、接触によって 知ることができた限りにおいて、この国民は、 私が遭遇した国民の中で、一番優れている。私には、どの不信者国民も、日本人より優れている者はないと考えられる。日本人は総体的に良い素質を有し、悪意が無く、交わって、且つ、よく学ぶ。彼らの名誉心は、特別に強烈で彼らにとって名誉が全てであり、貧困を恥としない。日本人は、大抵、貧乏である。しかし、武士たると平民たると問わず、貧乏を恥辱だと思っている者は一人もいない。窃盗は極めて希である。彼らは盗みの悪を非常に憎む。私は、今まで旅した国において、キリスト教たると異教徒たるを問わず、こんな信用できる国民を見たことがない。

-タウンゼント・ハリス-
初代アメリカ総領事 1856年(安政3年)来日 私は、時として日本を開国して、外国の影響 を受けさせることが果たして、この人々の普遍 的な幸福を、増進する所以であるかどうか疑わ しくなる。私は、質素と正直の黄金時代を、いずれの 他の国におけるよりも、より多く日本において 見い出す。

-エンゲルベルト・ケンペル-
ドイツ人医師 元禄3年来日。私は日本の鎖国に賛成する。すなわち、日本は自給自足ができており、外国 からの物資を輸入する必要もなく、国内は争い もなく、その生活水準、精神性は非常に高い。

-ヘンリー・ヒューストン-
アメリカ公使館通訳 幕末から明治にかけて今、私がいとしさを覚え始めている国よ、 この進歩はほんとうに進歩なのか?この文明は、ほんとうにあなた達のための 文明なのか?この国の人々の素朴な習欲とともに、その 飾り気のなさを私は賛美する。この国土の豊かさを見、いたるところに満ちている、子供たちの愉しい笑い声を聞き、貧しさの中にも、どこにも悲惨なものを思い出すことができなかった私には、おお神よ、この幸福な情景が、いまや終わりを迎えようとしており、西洋の人々が、彼らの重大な悪徳を持ち込もうとしているように思えてならないのである。

-ハインリッヒ・シュリーマン-
1865年 幕末から明治にかけて来日。入国の際、税関で荷物を解くのが面倒なの で、金を渡して免除してもらおうとしたところ「日本男児たるもの、心づけにつられて義務 をないがしろにするのは、尊厳にもとる」と 言って断られた。また、日本巡回中、警固の武士の精勤さに驚かされ、感謝の気持ちで現金を贈ろうとすると、「現金を受け取るぐらいなら、切腹を選ぶ」という。私は、日本人の高潔さには感嘆した。

-イザベラ・バード-
イギリス人 女性旅行家 明治11年来日。ここで私は、一度も失礼な目にあったこともなければ、不当な料金を取られたこともない。ヨーロッパの多くの国々は、我々イギリスにおいても、女性の一人旅は、無礼や屈辱の仕打ちにあったり、お金をゆすりとられる。馬子は私が雨に濡れたり、びっくり驚くことのないよう絶えず気をつかっている。私は、日本の子供たちがとても好きだ。日本では、孝行が何ものにも優先する美徳である。私たちイギリス人の最も良いマナーも、日本人の気品、親切さには及ばない。

-ラダ・ビノード・パール-
極東軍事裁判所 インド代表判事
私は、1928年から1945年(東京裁判)まで の歴史を、2年8ヶ月かかって調べた。この中には、おそらく日本人の知らなかった 問題もある。それを私は、判決文の中で綴った。 この歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア 侵略の張本人、であることがわかるはずだ。
日本の子孫が、歪められた罪悪感を背負って、卑屈・退廃に流れてゆくのを私は見過して、平然たるわけにはゆかない。日本が過去の戦争において、国際法上の罪を犯したという錯覚に陥ることは、民族自尊の精神を失うものである。日本よ、日本人は連合国から与えられた戦犯の観念を一掃せよ。

-オットー・カロン-
ドイツ人 ボン大学教授 1950年 講演
ローマ帝国も、ナポレオンの国でさえ、一度 戦いに負ければ亡びている。ヒットラーも、 イタリアのムッソリーニも、すべてそのまま残る ことはできない。殺されるか、外国に逃げて淋しく死んでいる。だから、日本の天皇も、外国に亡命すると 思っていた。しかし、そんなことは聞かない。すでにこの 世におられないと思っていた。ところが最近、日本からきた情報を見て驚い た。天皇が、敗戦で大混乱の焼け跡を巡っている 姿である。しかも、2年もの長い間、北の端から南の端まで、廃墟を巡って国民を慰めている。陸軍も海軍もすでに解体され、一兵の守りもないのに無防備のまま巡っている。平穏無事なときでも、一国の主導者が、自分の国を廻るときは、厳重な守りがなされている。何という大胆、危険極まりない行為かと思った。しかし、驚いたことに、国民は日の丸の小旗を打ち振って、天皇を眺めている。こんな美しい国の元首と、国民の心からの親しみ、心と心の結び、これはどこの国にも見られないことである。我々は改めて日本を見直し、日本人を尊敬しなければならないと思っている。

-ラジャー・ダト・ノンチック-
マレーシア元上院議員 (マレーシア独立運動の中心人物)
私たちアジアの多くの国は、日本があの戦争を 戦ってくれたから独立できたのです。日本軍は、永い間、アジア各国を植民地として 支配していた、西欧の勢力を追い払い、とても 白人には勝てないと諦めていたアジアの民族に、 驚異の感動と、自信を与えてくれました。マレー半島を進撃していく日本軍に歓喜の声をあげました。敗れて逃げていくイギリス軍を見た時、今まで感じたことのない興奮を覚えました。しかも、マレーシアを占領した日本軍は、日本の植民地としないで、将来それぞれの国の独立と発展のため、それぞれの民族の国語を普及させ、青少年の教育を計ってくれたのです。かつて日本人は、清らかで美しかった。かつて日本人は、親切で心豊かであった。アジアのどの国の誰にでも、自分のことのように一生懸命尽してくれた。戦後の日本人は、自分たち日本人のことを悪者だと思い込まされた。学校にも、ジャーナリズムも、そうだとして教えなかったから、本当の日本人を知っている私たちは、いつも歯がゆくて悔しい思いがする。自分のことや自分の会社の利益ばかり考えて、こせこせ身勝手な行動ばかりしている。ヒョロ、ヒョロの日本人は、これが本当の日本人だろうか? どうして日本人はこんなになってしまったんだ。

CNN
物が散乱しているスーパーで、落ちている物 を律儀に拾い、そして列に黙って並んでお金を 払って買い物をする。未曾有の天災に見舞われながら、運転再開し た電車で、混んでいるのに妊婦に席を譲るお年 寄り。 整列してタクシーやバスを待ち、延々 と家を目指して歩き、あるいは、じっと耐えて 外で夜を明かす人々の姿。この国民性、成熟度の高さ、文化的な力は、 どの国も勝つことができない。

中国新聞社
日本人は、どんな過酷な状況でも、個人は 集団を離れず、集団は個人を保護する。厳しい状況でも、”個人による英雄主義” は必要ない。 「皆さんと一緒に」の精神は、力を合わせて 困難を克服するだけでなく、社会システムの 効率を高めることに繋がる。どんな事態が生じても、日本では、略奪や パニックが生じないと言っても大げさではない。 「人に迷惑をかけない精神」と、常識が身勝手 と混乱を防止している。
・数百人が集まった避難所で、スタッフが走り 回って毛布や水、ビスケットを用意している。
・男性は女性を助けている。
・人々は整然と列を作っている。
・タバコを吸う人は一人もいない。
・救援物資の配布は3時間で終了したが、ゴミひとつ落ちていなかった。
非常事態にもかかわらず、日本人は冷静で、礼儀正しいこうしたマナーの良さは教育の結果。日中の順位が逆転した国内総生産(GDP)の規模だけで得られるものではない。中国は50年後でも実現できないであろう。人類で最高の先進性が日本にある。

NYタイムス
市民が、勇気と団結、共通の目的の下に苦境に耐えていることに感嘆する。日本の人々には真に高貴な忍耐力と、自制心がある。これからの日々、日本に注目すべきだ。間違いなく学ぶべきものがある。

ベトナム紙
防災訓練を受けていても、怖いはずなのに、 誰もパニックに陥る人はいない。自分の仕事に集中し、連絡を取り合っている。 怒鳴りあいもケンカもない。 本当に強い国だけがこうした対応ができる。こうした強さゆえ、日本人は世界で最も厳しい 条件の国土で生き抜き、米国、と並ぶ経済レベル を達成できたのだ。我々が学ぶべき多くのことがわかった。

-リチャード・ハルバーシュタット(49)-
3/26 イギリス人 石巻専修大学准教授
「国外避難を手伝う」と在日英国大使館から 緊急連絡が入り、外国人の帰国が相次ぐ中、 避難便に乗る直前に、思い留まり石巻市に引き返 した。「何も残っていなくても、おばあちゃんたち は、元気で生きていた。腰ぬけの自分が情けな かった。この町の魅力は人に尽きる。」

-中国メディア-
3/16 被災して帰国した、宮城県女川町の 中国人研修生100名のインタビュー
「地元の人たちの助けがなかったら、私たちは もうここにいなかった。」
1.地震発生直後、研修先の佐藤水産の佐藤専務 は、私たちに「津波が来るぞ」と、真っ先に 駆け寄り、高台の神社に連れて行ってくれた。避難させると、専務は家族を捜しに、宿舎に 戻って行った。しかし、宿舎も専務もあっという 間に津波に呑み込まれていった。
2.岡清の社長と部長は、地震直後すぐ、山中の 温泉旅館に避難場所を見つけ、私たちを車で 送ってくれた。しかし、その時、彼らは自分の子供さえ、まだ見つかっていなかった。「こんな非常時にも、地元の人たちが分け隔て なく扱ってくれた。この感動を一生忘れない。」

2003年10月
1人のイギリス老紳士が来日
元イギリス外交官、サー、サムエル・フォール重い心臓病と84歳という高齢で、車椅子で来日。海上自衛隊の式典に参加
「自分が死ぬ前に、どうしても一言お礼を言いたかったのです。この齢になっても、一度として彼の事を忘れたことは有りません。」

太平洋戦争 初期
イギリス海軍下士官 申し伝え事項― 艦が沈没したら、敵 日本艦船に向かって泳げ、必ず助けてくれる ―

1942年3月2日 インドネシア スラバヤ沖
日本軍優勢の中、イギリス海軍駆逐艦エンカウンター、日本海軍の攻撃を受け撃沈.400名以上の生存者は、8隻の救命ボートで脱出、漂流.多くの者が重油で目を負傷.

フォール少尉
「オランダ軍がきっと助けに来てくれる」(脱出前に打ったSOS信号の受信域に、味方のオランダ軍基地があったため)

一昼夜経過し、絶望の中、自殺しようとする者も現れる。漂流から20時間経過後、艦船を発見。
「助けてくれ」と手を振るが、そこに現れたのは日本海軍駆逐艦「雷」(いかづち)乗員220名の小型艦ながら、既に3隻を撃沈していた。

「雷」乗員
「左30度 距離8,000、浮遊物多数」 「わが軍の艦が、敵の潜水艦にやられた 直後かもしれません。」
工藤艦長
「近くに敵潜水艦がいる可能性がある。 潜望鏡見えないか確認」― 前日、当海域で日本の輸送船が魚雷攻撃 を受け、沈没したばかり ―

工藤艦長
「この海域は油断ならん。戦闘用意。」「見張りは警戒厳となせ」
乗組員
「浮遊物は敵兵らしき」「艦長、イギリス海軍です。400名以上います。」

艦長 工藤俊作

工藤艦長
「引き続き、潜望鏡確認」 乗組員
「400名以上いる、俺たちよりも多いぞ」
工藤艦長
「取り舵いっぱい」
― 漂流者を射程に捉える ― イギリス兵
「もうダメだ。機銃掃射でハチの巣にされ る。」フォール少尉以下、イギリス兵は覚悟 して十字を切る。

工藤艦長
「敵兵を救助する。」と命令。
―「雷」救難活動中の国際信号旗を掲げる。― 乗組員
「敵を助けるだと?」 「ここは一番危ない戦闘海域だぞ」 「艦長は正気か?」 「助けたとしても敵は400人以上いるんだぞ」 「この艦にそんな余裕はない」 「助けた後、元気になったら、逆にやられるぞ」

工藤艦長
「敵とて人間。弱っている敵を助けず フェアな戦いは出来ない。それが武士道で ある」と命令。

救助開始
自分で上がれる者に手をさしのべるが、「お前たち、なんで上がってこないんだ」
イギリス兵
「病人から先に」イギリス兵は、傷ついた者から優先的に救助するよう求める。

乗組員
「艦長、自分で上がれるやつはほとんどいません。救助するにもとても手が足りません。」
工藤艦長
「一番砲だけ残し、総員敵溺者救助用意」
乗組員
「手空き総員、ロープ、竹竿を両舷に出せ」
170名の日本兵によって、救助活動が続く。 ロープ、竹竿に触れた瞬間、力尽きて 沈んでいく者多数。
工藤艦長
「魚雷搭載用のクレーンも使うぞ。 使えるものは何でも使え。」‐この時点で「雷」は実質、戦闘不能状態に‐ ‐自ら海中に飛び込んで救助する乗組員もあった‐

乗組員
「艦長、このまま救助を続けると、戦闘に なった時、燃料が足らなくなります」と報告。 工藤艦長「構わん。漂流者は一人も見逃すな」と その後、艦を移動させ、全員救助。
救助したイギリス兵422名。 甲板上で布とアルコールで丁寧に拭く。 貴重な真水、食料も惜しみなく配布。 衣服も提供。
イギリス海軍の規定
危険海域における溺者救助活動は、 『たとえ友軍であっても義務はない』 としている。

イギリス軍捕虜を集めて甲板上でのスピーチ
「貴官達は、勇敢に戦われた。今や諸君は日本海軍の名誉あるゲストである。」翌日、ボルネオ島の港で、オランダ病院船に、捕虜として全員を引き渡す。

2003年 海上自衛隊にて フォール少尉(当時) 「救助の旗が揚がった時は夢かと思いました。 彼らは敵である私たちを全力で助けてくれたの です。」 「1人2人救うことはあっても、全員を探そうと はしないでしょう。例え戦場でもフェアに戦う。 困っている人がいれば、それが敵であっても 全力で救う。 それが日本の誇り高き武士道である、と認識 したのです。」

「敵を敬うという日本の武士道の考え方を、私は子供や孫たちにも話しました。この出来事は、日本人に対して持つ私の印象にずっと影響を与えました。深い尊敬と感謝の念を抱いております。」
「自分が死ぬ前に、誇り高き日本人である工藤艦長に、ぜひお礼が言いたくて日本を訪れたのです。」
平成8年「マイ ラッキーライフ」という自伝を出版。
本の冒頭文
「この本を私の人生に運を与えてくれた家族、そして私を救ってくれた、大日本帝国海軍中佐 工藤俊作に捧げます。」

出席報告

2月28日 29名 ( 0名MAKEUP )( 3名出席免除 ) 29/36 80.55%
2月21日 25名 ( 2名MAKEUP )( 3名出席免除 ) 27/36 75.00%
2月14日 33名 ( 0名MAKEUP )( 1名出席免除 ) 33/38 86.64%

委員会報告

その他の報告

ニコニコ箱

紀伊國谷隆 さん  笹倉さん 本日もよろしくお願いします。
内波憲一  さん  笹倉様 今日はよろしくお願いします。
大谷秀明  さん  笹倉様本日もよろしくお願いします。
          坂井様今年こそ秋にはうれしいご報告をお聞かせ頂ける事を願っています。
岩﨑重曉  さん  世界平和
岩野昭   さん  坂井様 笹倉様 ようこそ神戸中RCへ
押部浩二  さん  坂井さん 笹倉さん ようこそ神戸中RCへ

例会予定

3月14日(火) 第1151回「米山カウンセラーの仕事を拝受させていただいて  」
         当  番  山田  恵子 会員
3月21日(火) 休  会  定款第6条第1節により
3月28日(火) 第1152回「 未 定 」
         当  番  山本 裕一郎 会員

本日のRCソング・BGM

RCソング
「 君が代 ・ 奉仕の理想 」

BGM
「  A White Shade Of Pale 」
「 Moon River 」
「 Triste Coeur 」

山中 英彦 副幹事
haradebrin@324travel.jp

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