卓話

「 講演回顧録 」
当 番 宇尾 好博 会員
皆さん、こんばんは。
本日は、「講演回顧禄」という題でお話をさせて頂きます。
私は、神戸経済同友会で、「企業と社会の新しいありかた委員会」についてお話いたします。
さて、日頃の仕事の中で私達は、「企業と社会」そして「働くとはどういうことか」ということをどの程度どのように考えてきたでしょうか。
平成23年、東日本大震災を契機として、何かが変わりました。
この震災で、いざという時には、政府も企業も助けてくれないことを知りました。
そして、自分の力で生きていかなくてはと、スキルアップのために出勤前の勉強会朝活が盛んになりました。
一人で生きていくのは大変だということで、結婚願望のある人が5%増えました。
また、孤独感から逃れるためにSNSに頼る、自分の知りたい情報の世界に閉じこもる、人が増えてきました。
阪神淡路大震災の時、寄付をした方は、寄付をすることで満足をしていました。しかし、東日本大震災の時は、自分の寄付金が何に使われるかに関心を持ち、納得したうえで寄付をするようになりました。
プレジデント社の年収1000万以上の方へ震災後の、生活観、仕事観、生活観の変化についてのアンケート調査では、自分の仕事、働き方に疑問を感じて、実に70%が転職を考えたと言います。
震災の中でのボランティア活動の姿が連日TVで報道されていました。世の中で何か役に立ちたい、今動かなければという気持ちが湧きあがり、人々は自然に行動したと思います。
この姿を見ている時に、「お父さんの仕事はなに」と聞かれ、答えに困ったと言います。
改めて「働くとはどういうことか」考えたと言うことです。
さて、企業はそこで働く人の集合体です。つまり、働く人々が、自ら生活する社会とどのように向き合ってきたか、向き合っていくかが課題だと思います。
そして、企業が社会の一員として、社会に果たす役割はなにか。企業は社会的責任を果たさなければならないとよく言われます。神戸大学の加護野教授は、こう言っています。
企業の社会的責任と言われますが、日本の企業はむしろ「社会に対しての企業使命」というように考えているのではないか?
次に、「働き方改革」です。これは誰のための改革でしょうか? 働く人々のための改革でしょうか。企業のための改革でしょうか。働き方改革は、そもそも、一人が働くだけでは家族を養うだけの収入が得られない世の中になった結果ではないでしょうか。
ワークライフバランスをとるためにも、残業時間の削減をする方針が政府から出されました。今までより少ない時間で今までと同等あるいはそれ以上の成果を出さざるを得なくなりました。私達は、生産性を高める必要に迫られています。
企業は勤務体系を変え設備投資を行い働く環境整備を行い、働く人は自らのスキルアップを求められ、生産性を高めるため充分な睡眠を取り万全の体調管理が必要になります。
しかし、それだけでは、生産性を高めることはできないのではないでしょうか。
企業理念が隅々まで染み込んだ企業風土の上に立っていることが重要ではないかと思います。必要ならば、企業理念の再構築が必要なのではないでしょうか。
このようなことを踏まえて、行われたセミナーのひとつを講演録としてご紹介します。
テーマは、「なぜ美の競争優位が求められているのか?」講師は山口周氏。
著書に「世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか?」---経営における「アート」と「サイエンス」があり、帯には、論理的思考・MBAでは戦えない「直感」と「感性」の時代と書かれています。さて、地球がこの先ダメになってしまい、スペースコロニーに移住することになり、ひとつだけ持っていけるとしたら何をもっていきますか。ある小学校では、「大和魂です」と答えた男の子がいました。それは、君がこころの中に入れて持っていけばいいので、物なら何がいいという話をしたそうです。山口氏が個人的に思うのは、例えば、国宝の鎌倉時代の「天目茶碗」、安土桃山時代近代水墨画の傑作長谷川等伯の「松林図」
「桂離宮」、「ウォークマン」などだそうです。どこで聞いても、大体傾向は同じです。
8~9割は、18世紀以前に作られたものです。18世紀後半くらいに産業革命が起き、それまでの時代から生産性は数千倍になったと言われています。そして今、日々生産性が問われています。生産性とは、何かを作る時の効率ですから、何かそれによって生み出されるということです。25世紀、30世紀の人類にこれだけは残さなくてはならない物を選んでくださいというと、自分たちが作っている者はなかなか出てこない。20世紀の私たちがどういう者を作ってきたかを考えると、結構醜いものを作ってきたなという反省があります。
例えば、中善寺湖のスワンボートは一体だれが望んでここに存在しているのかと思う。
誰が、こういう風景が欲しいと思って生み出しているのだろうと、考えざるを得ない。盲目的に欧米を賞賛する気はないが、イタリアのコモ湖は、田舎の建物と、そこに非常に似合った湖の風景があり、いかにも湖のリゾートの旅情生み出している。
東京のある商店街のジャングルのツタみたいにみえるグシャグシャの電線は、誰かが仕事をした結果で、毎回アップデートしていく仕事のうちに、このようになってしまっている。高い生産性でもって仕事をした結果、このような風景が生み出されている。
草津温泉の広告看板のある風景。これを美しいと思う人はてないと思います。風景が破壊されている。不動産屋さんは、土地の有効活用を考え、広告スペースを提供し、広告を出すところは、集客と他の同業者との競争に負けまいとした結果です。真面目に、実直に仕事をした結果だけれど、結果として、草津温泉の魅力は撲殺されている。
さて、江戸時代、元禄時代の最盛期の日本の人口は2500万~3000万人、今の日本は1億2000万人。江戸時代大体1日に3~4時間ぐらいしか仕事をしないと言われているから、今のほぼ半分。今は、人口が4倍、倍働いているので生産量は8倍の人、労働力をかけている。しかし、仕事で心身を病む人もいる。完全な循環型社会の江戸時代と違い、石油資源を消費し環境負荷を投入しているが得られたものは何か?残しておきたいものは、江戸時代以前のものが多く、ここ50年ではどうなのか。高い生産性を誇って、人類の後世に残しておきたいものを残せたのか、自分たちの会社は世の中に対して何を残していく会社なのか考える時期に来ている。
20世紀前半に活躍した経済学者ジョン・メイナード・ケインズは、いろんな予言をしていて、多くは非常に的を射たもので当たっていますが、中には外れたとせれるものもあります。
これは、その一つです。「孫の世代の経済的可能性」という論文には、人類の経済問題は根本的に解決する。ニーズはそんなに増えていかないが、生産性がどんどん上がっていくので、1日3時間だけでいい社会がやってくる。暇にたえられない人が大量に出てきて社会問題になる。尊敬されるのは、今を本当に充実して生きられる人物だ。残りの5時間に耐えられない人は、実質的なニーズとは関係のない仕事に携わるのではないか。と書かれています。
今、仕事にやりがいを感じる、社会に対して意味ある仕事だと思っている人は1割程度。
残りは、自分の仕事に何か意味があるか良く解らない、世の中にとって悪いことをしているかもしれない。と考えている。
仕事をやった結果、世の中の風景がどんどん醜くなっていっている状況をケインズの予言を踏まえると、世の中を悪くしているのは普通に善良な企業市民として多くの人が働いている会社。仕事の結果として、世の中の風景を醜くしている。
いま、世界中のビジネスの現場で起こっている問題に「正解のコモディティ (代替可能性を持つ商品またはサービス) 化」がある。
例えば、携帯電話の機能や外観をデザインするために、各社は秘密裏に調査を行う。正しく標本の抽出を行い、正しく統計的な因子分析をかけて、それを正しくデザイナーに渡した結果は、正解が出ている。しかし、みんな同じような商品に行きつき、一見してどの携帯電話がどの会社の製品かあまり区別がつかない。経営って差別化をもとめているので 、正解ですけれど零点です。正解を求めない会社、市場調査を全くやらない会社が、こういうのができたらすごくかっこうよいと思って作ってみたものに1年以内に市場の50%を取られた。4兆円市場で1社を除いて全部撤退し、そこで働いていた人は職を失っている。コモディティになった正解で戦おうとすると、「他社さんと何が違いますか。」と聞かれても、あえて言うなら、他社より早い、他社より安いで戦わざるを得ない。結果的に、労働力を酷使してしまうとか経営に非常に負担をかけることになってしまう。
正解がコモディティになった世界で、正解とは異なる「自分の回答」をどう生み出すのか?
アーティストは、正解、不正解を考えない。自分が生み出したいから生み出しただけである。
経営の場合として考えると、世の中に生み出したインパクトとかポジティブな変化と影響を与えるかということになる。
ロンドン郊外の美術系大学院に多国籍企業のエグゼクティブが学んでいるのは。彼らにユニークな回答、提案を考えることが要請されるようになってきているからである。
MBA出願件数が4年ほど減り続けている。MBAは経営上の様々な問題に対して70点~80点の回答を出すことをトレーニングすることが基本的な目的であり、大ヒットは打たないけれども決定的なエラーも出さない。正解の出し方を教える所で、皆が正解を出すと価値がなくなった。アメリカのイノベーションは、ユニークなやり方のケースが多いためMBAに行っても、ビジネスマンとしてのパフォーマンスを上げることはできない。
経営コンサルティング大手のマッキンゼー社は、デザインコンサルティング大手のLunarを買収した。この買収は、今日のビジネスにおいてデザインがいかに中心的な存在であるかを示しており、デザインの影響力がテクノロジー業界だけでなく、企業の世界全体にまで広がっていることを示している。
マインドフルネスが流行しているがマインドフルネスとは何だろうか。サイエンスべースの経営は、事実に基づいて理論を組み立てる、業界のルールとか過去の判例を見に行く、市場調査によってなにが美しいか決めている。つまり、全部自分の外側のものを判断のよりどころしとて求める考え方である。アートに基づこうとすると、自分の内側に潜っていくことが必要になります。自分は本当は何がやりたいのか、自分にとって一番大事なことはきなにか、この会社とこの事業を通じて世の中に何を訴えたいのかを内省しながら考えていくことが必要になります。自分にとって一番大事なことはきなにか、自分は何を理念として掲げようとしているのか、考える技術がそもそもマインドフルネスである。
「ファジー・アンド・ザ・テッキー」という本が売れている。副題に「デジタル世界を支配するのは、なぜリベラルアートなのか」とある。つまり文系と理系で逆転現象が起こっている。ビジネスは基本的に「問題」とその「解答」によって成り立っているが、現在は「解答」よりも「問題」が減少している。問題が一見して見当たらない状態から問題を生成するためには必ずリベラルアートが必要になっている。今は、テクノロジーが広範囲にいきわたった結果、問題提起ができる人が足りなくなってきている。世の中にはこんな問題があって解決すべきだと。だから、こういう事業がやりたい。と言える人にはリベラルアーツの人が多い。ありたい姿を思い描けないと、問題も作れない。ありたい姿は、市場調査、数字を積み重ねても出てこない。自分の直感、本来こうあるべきではないかと出てくるものではないか。
経営や組織運営における「アート=直感・美意識・感性」にとって何が大きな障壁か?
アートで私の直感からすると云々と説明しても説得力がないのではねられてしまう。サイエンスで手元のデーターからすると、あるいはクラフトで私の経験からすると云々と説明すると説明力があり採用される。経営における優秀さは、多くの場合サイエンスとクラフトに根差して評価される。そして組織の上層部は、サイエンスとクラフトしかできる人がいない状態になる。アートが失われてしまう。
ビジネスにおける「真善美」を考える時、アートでは、「真」は、史実ベース論理的思考ではなく、直感、インスピレーション。「善」いことは、業界習慣や判例が無くても自分なりの道徳観、倫理観みたいなものに根差して判断していくことが必要である。「美」しさについても、市場調査に頼らず、自分なりに、本当に世の中に出しても恥ずかしくない物かどうかということが大切である。
米国陸軍が今日の世界情勢を示す言葉として、不安定・不確実・複雑・曖昧と言っている。
クオリティの高い意思決定を継続して行うには、ルールや法律だけを拠り所にするのではなく、内在的に「新・善・美」を判断するための自分なりの「美意識」に照らして判断することが必要である。
DeNAモバイルゲームのコンプリートガチャポン。これは、携帯電話用などのソーシャルゲームでのアイテム課金する仕組みになっている。フランスの業者にこのビジネスをしませんか、良く儲かりますからと持ち込んだ。どうして儲かるのかと聞かれて、判断力の無い子供相手のゲームだからと言ったところ、即座に断られたと言います。そして、未成年が親のクレジットカードまで使い込む事件が起き、2012年(平成24年)5月5日不当景品類及び不当表示防止法違反で5月末終了している。ここには、倫理観や道徳観が見られない。
グーグルが、人口知能をドローンに載せる研究を国防総省とやっていた。現場から反対の署名運動が起こり4500人の署名が集まり退職する人まで出た結果、グーグルの経営陣は国防総省とのプロジェクトを停止した。そして、今後人口知能が武器に搭載される可能性のあるプロジェクトに一切かかわらないと内外に向けて宣言することになった。
グーグルの行動規範には、Don’t be Evil (邪悪になるな)と書かれているにもかかわらず、それを無視していたことに気づいたからである。まさに、業界のルールもない、凡例もない中、自分たちがおかれている歴史の文脈の中で、何をするべきかで何をするべきでないかに対してきわめて発達した判断基準を持っている明確な事例である。
その後、グーグルの行動規範は、Do the Right Thing(正しいことをやれ)に変更された。
企業と社会の存在価値を考える時、世の中に一体何を残していく会社なのか?場合によっては企業理念を問い直すことが必要な局面に来ているかもしれない。大企業の話が例として取り上げられていますが、この中から何か今後のヒントになるものがあれば幸いです。
最後に、ロータリーの特徴としては、教育的性格があり、会員の心の中に最高の倫理基準をしっかりと植えつけることがある。山口氏の講演の中に、改めてロータリークラブの存在価値をみることができると思う。ご清聴ありがとうございました。