2012/5/23・No.41

☆2012年5月29日  第934回例会

「 親睦活動月間に因んで 」

RID2680地区親睦活動小委員会委員長 富本 東平氏

当 番  國田 正博 親睦活動委員長

☆2012年6月5日  第935回例会

「 会 員 卓 話 」   

当 番  真野 博 会員


☆2012年5月22日  第933回例会

「 マザーテレサとその世界 」

当  番  黒正 清子 会員

司  会  髙井 敏郎 SAA

点  鐘  河南 和幸 会 長

ロータリーソング
親睦活動委員  岩野 昭 会員
「 おお牧場は緑 」

☆お客様紹介 
 親睦活動委員長 國田 正博 会員
  神戸垂水RC 山中 勉 さん
  会長ゲスト 米山記念奨学生
         ランマヤ タマンさん
        交易財団法人PHD協会
         井上 理子さん

BGM  「 ル・ローヌ 」
   「 アマポーラ 」
   「 美女と野獣 」
  ピアノ演奏 森田 純子 さん

岩﨑 重曉 副幹事
siggate@gmail.com

会長報告 河南 和幸 会長

こんばんは。先週の水曜日に、大谷さんの入会歓迎会と20周年記念事業委員会の慰労会、さらにワイン同好会の例会を合わせて開催いたしましたところ、28名参加して頂き大いに盛り上がり楽しい一時を過ごすことができました。お世話をして頂きました米田会員にお礼申し上げます。
昨日は金環日食でした。いい天気に恵まれてはっきりと見ることができました。サングラスを2,3個重ねて見られた方もおられたと思いますが、私はレントゲンフィルムを感光させて見ておりました。最近は、デジタル化が進みフィルムを現像することはなくなり、紙に印刷されてきます。私の診療所でもそうであります。残ったフィルムが意外なところで役立ちました。しかし、金環日食の観察により、目に痛みや違和感を訴えた人は、日本眼科学会によりますと、18都道府県 74人に上るそうで、内12歳以下が16人で、日食網膜症で、1日以上経っても物が見えにくい、やや重症の患者さんもおられたということです。この次は、6月6日に金星が太陽面を通過する「太陽面通過」があります。が、観察には十分お気をつけ下さい。
さて、米山奨学生 ランマヤ タマンさんのご紹介をしておきます。ネパールから農業研修と保健衛生の勉強に来られております。1年間滞在予定です。5年前までは、毎年米山奨学生のお世話をしておりましたが、その後は暫く途絶えておりました。今回、神戸ベイRCの前田会長(地区の米山奨学委員長)から受け入れの依頼がありました。米山記念奨学会 委員長の吉田さんにカウンセラーのお願いしたところ、快く受けて頂きました。4月来日の予定でしたが、ビザの関係で来日が延びて5月になりました。今は、日本語が不自由ですが、若くて勉学に燃えていらっしゃるので、すぐに上達されることでしょう。今後月に一度・1年間は例会に来られますので、暖かくお迎いたしましょう。当分通訳の井上様とご一緒に来られます。
先の理事会において、山口会員の神戸ベイへの移籍願いを承認しましたことをご報告いたします。新しく立ち上げた学校がハーバーランドになった為とのことであります。
幹事報告 岩崎 重暁 副幹事

・20周年記念事業に際し皆さまからいただいた「ニコニコ」の
 領収書を各位お持ち帰りください。

卓 話

「 マザーテレサとその世界 」  当番 黒正 清子 会員

マザーテレサの本名はアグネス・ゴンジャ・ボヤジュです。1910年8月26日今のマケドニア共和国の首都スコビエに生まれました。テレサの両親はアルバニア人でした。父親はニコラ、母親はドラナで父はお金持ちの商人でした。穏やかな暖かい家庭で育ちましたが、アグネス9歳の時家族に突然大きな不幸が襲いました。
父は熱心なアルバニア愛国運動家でしたが、そのため命を失ってしまいました。父亡き後、子供たちは母の庇護の基ますます絆は深まりました。アグネスはこのような母から受けた教育をとても強く感じていました。
アグネス12歳の時修道女になる希望をいだき始めました。アグネスは、アイルランドに本部のあるロレット修道会に入会します。ロレット修道会はインドのベンガル州で教育活動をしていました。もう一人同じ修道会に入る事を選んだ少女と共に入会への旅が始まりました。1929年1月の初めロレット修道会の二人の志願者がヨーロッパからインドへ向かう船の甲板に姿を現しました。長い航海の末にベンガル湾に到着しました。
二人の内若い方の志願者は名前をアグネスと言い後に世界中からマザーテレサと呼ばれる様になりました。アグネスは初めて見るインドの国にとても魅力を感じましたがこの国の貧しさにびっくりしテレサの生涯に大きな影響を与えました。1929年1月インドに着き、ベンガル州北部のダージリンの修道院で教育を受けました。
20歳で神様に身を捧げる誓いを立てテレサという名前を頂きシスターテレサとなりました。
修道会の学校で教え日曜日には見捨てられた人達の住む町の貧しい地域に行きました。 何年か経って戦争が始まり他の修道女は修道院から別の所に避難しましたがテレサはコルカタ(以前のカルカッタ)に残りました。
この時にいつも訪問していた生徒や貧しい人達をもっと良く知る事が出来ました。1946年テレサはダージリンへ行く汽車の中で「貧しい人達を助けその人達と生きる為にロレット修道院を去らなければならない」という神様からの招きの声を何度も聞きました。テレサは今の修道院を出て一番貧しい人々のために働く新しい修道院を作らなければなりませんでした。コルカタのモティディルというスラム区域で学校を開く許可を得ました。
だれかがわずかなお金を寄付したりあるいは自分の仕事でテレサを助けるようになりました。
貧しい人々を助けたいと志願する女性達がやって来ました。正式に教会から認められるためには、会の目的や規則が定められなければなりません。 次第に色々な事が準備されて行き1950年10月「神の愛の宣教者会」が出来11人の若い女性がシスターに成り今の修道会の母院となっている建物も出来,宣教女達は清貧の規則に従い持ち物はサリーと一足のサンダル、十字架、ロザリオ、風や太陽から身を守る傘、体を洗うブリキのバケツこれだけの物を持つだけでした。「神の愛の宣教者会のシスターたちはいつも走っている」と周りの人々から言われていました。マザーテレサは路上で犬の様に捨てられて死んで行く不幸な人々に少しでも慰めとなる「死を待つ人々の家」がほしいと思いました。マザーは不幸な生活をしている一人一人の中にキリスト(神の愛)を見ていました。「神の愛の宣教者会」は世界中の国々に出来るようになりました。
世界中90カ国に400以上の修道院があります。日本にも名古屋と東京にあります。マザーは文明の国ヨーロッパやアメリカの社会を見て大きく心揺さぶられ沢山の事を考え「ここではあなた方には豊かな社会があります。空腹のために死ぬ人はいません。でも精神の貧しさ(孤独)です。」孤独とはマザーが北欧のある老人施設に行った時、そこの人達は一日中部屋に座って入口の方を見ているのにびっくりしたそうです。老人は自分達を訪ねてくれる人達を一日中待っているのです孤独なのです。人間は日々誰からも必要とされていないと感じること、生きる意味が感じられない事これこそがもっともひどい貧困とマザーは強調しています。物質的には貧しくても家族や仲間と暮らしている人はほほ笑む事が出来る。心が貧しくなると笑うことも出来ず生きる力を失う。人間が人間らしく生きて行くためには自分が自分としてありのままに受け入れられ人間としての価値を認められ愛される場所すなわち自分の居場所が必要です。このような考え方はマザーの母ドラナフィルがマザーに教えた事だと言われています。マザーの愛の働きは益々発展し「男子の修道会」も出来ました。その頃世界中には協力者「マザーテレサ共労者会」が出来ました。この会の協力者は約3000人にもなっていました。この会はマザーの御考えにより現在解散になり個人個人がそれぞれ草の根レベルで色々な活動をしています。1979年平和の為のノーベル賞がマザーテレサに授けられる事が知らされました。マザーのただ一つの考えは「貧しい人の中でも最も貧しい人達の為に賞金を使うことでした。」シスター達は賞金でハンセン病者の為に200の家を建設出来るだろうと考えていました。1979年12月10日テレサはノーベル賞その席上で金メダルと賞金の小切手を受け取りそして聖フランシスコの祈りを出席者全員で唱えました。「主よ私をあなたの平和の道具にして下さい。憎しみがある所に愛をもたらしますように」愛はカトリックの基本の考え方です。その頃世界中の偉い方々が競争してマザーと会おうとしていました。マザーの単純さは時々人達を戸惑わせていました。しかしその単純さを愛している人がいました。教皇ヨハネ・パウロ2世でテレサの本当の友になりました。マザーはエイズ患者に対しても「エイズ患者の家」をアメリカのマンハッタンの下町グリニッチ・ビレッジに開く事が出来ました。チェルノブイリ原発事故の生存者へも訪問しました。1989年テレサは心臓に疾患があるのが解りました。他の沢山の病気も見つかりとても心配な状態でした。マザーは多く責任を委ねる人もなく活動は続けて行かなくてはなりませんでした。それでもマザーを批判する人がいました。特に社会活動家たちの中にはマザーは不正義や弱い人の虐待、外国の抑圧などの問題に携わっていないと言って批判する人がいました。「大切なことは色々な問題があると言うことではありません。問題の為に苦しんでいる人々と共に生き分かち合わなければなりません。」マザーの答えは非常に教えられるものでした。マザーは1997年9月5日87歳でコルカタのマザーハウスにて呼吸困難と多臓器不全の為帰天。マザーは亡くなることにより永遠の命に生かされる事になるのです。9月13日葬儀はコルカタで行われました。マザーの残された言葉の中に「人間は一人一人みんな聖人に成る様に神に呼ばれています。」とありますが、マザーは其の召命に答えた人です。2003年ローマバチカンにて列福(聖人に次ぐ地位)になりました。マザーの使命は「誰一人寄り添う人のいない最も貧しい人々の中では、イエスが一人ぼっちで苦しんでいる。そんなことがないように貧しい中でも最も貧しい人々に使える事でした。」
この後オリビアハッシ―主演の「マザーテレサの生涯」を映画にしたものを皆さんに見て頂きました。以上です。

出席報告

☆出席委員会  岡田 利夫 委員長

5/22   29名(0名MAKEUP) 29/39 74.35%
5/15   30名(1名MAKEUP) 31/39 79.48%
5/8   31名(0名MAKEUP) 31/39 79.48%

委員会報告

その他の報告

☆ゴルフ同好会   中橋 康行 会員

6月16日開催予定の第76回なかよし会案内を配布いたしましたのでご確認
ください。多くの皆様のご参加をお待ちしています。

☆公益財団法人PHD協会  井上 理子さん
 PHD協会は1962年からネパールで医療活動に従事した岩村昇医師が自らの経験と反省を踏まえ「モノ・カネ」中心の一時的援助を超えた草の根レベルの人材交流・育成を提唱し1981年に設立されました。このたびは「ランマヤ タマン」さんを米山奨学生として迎えていただき感謝申し上げます。

☆米山奨学生  ランマヤ タマン さん
 ランマヤ タマン 19歳です。皆さまのご期待に添えるよう精いっぱい努力いたします。毎月最終例会には必ず出席させていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします。

ニコニコ箱

☆北田 義光 副SAA

國田   さん  新入会員歓迎会と慰労会 欠席で申し訳ありませんでした。
大谷   さん  16日の歓迎会有難うございました。
岩崎   さん  ランマヤさん ようこそ!!
河南   さん  ランマヤさん ようこそ 中クラブへ。
松原   さん  すみません。例会欠席がちです。
岩野   さん  中橋さん 本日は有難うございます。

例会予定

☆プログラム委員会  畑 幸弘 委員長

6月12日  第936回例会  「 各部門委員会報告Ⅰ 」  
                 当 番 各部門委員長

6月19日  第937回例会  「 各部門委員会報告Ⅱ 」  
                 当 番  各部門委員長

6月26日  第938回例会  「 四役退任挨拶 」  

                 当 番  会 長 河南 和幸 会員 
                      副会長 寄神 正文 会員 
                      SAA 髙井 敏郎 会員
                      幹 事 野田 浩二 会員

本日のRCソング・BGM

RCソング
「 浜辺の歌 」

BGM
「 A White Shade Of Pale 」
「 Moon River 」
「 Triste Coeur 」