2022/11/8・No.18

☆2022年 11月 15日(火)第1388回 例会
「 日本の感性が世界を変える 」
当 番 奥田 祐司 会員

☆2022年 11月 22日(火)「 休会 」定款により


☆2022年 11月 29日(火)第1389回 ハイブリット例会
「 南アフリカ紀行 」
スピーチ 平山 一哉 会員
当 番  國田 正博 会員


☆2022年 11月 8日(火)第1387回 例会
「 藤田嗣治 」
当 番 永井 幸寿 会員

司 会   S A A  寄神 裕佑  会員  
点 鐘  会 長 茂木立 仁  会員

☆お客様紹介
親睦活動委員長 志磨 憲一郎 会員
会長ゲスト 株式会社協和殖産 井本知奈美 様

☆11月8日のRCソング・BGM ピアノ演奏 森田 純子 さん

ロータリーソング
☆ソングリーダー 親睦委員 岸田 寛司 会員
「大きな栗の木の下で」

BGM
「A Whole New World」 「Fry Me To The Moon」  「My One And Only Love」

藤定真由美 副幹事 mau@maunatural.com

会長報告

☆会長  茂木立 仁 会員

本日は皆既月食です。午後6時9分から月の一部が欠けて見える部分食が始まり、皆既月食は同7時16分から8時42分まで86分間続きます。

今回は月食中に天王星が月に隠れる「天王星食」も起こり、小笠原諸島を除く各地で同時に見られる。皆既月食中に惑星食が起きるのは極めて珍しく、1580年7月以来約442年ぶりの天体ショーとなるらしいです。ただ、天王星は明るさが6等で、空が十分に暗い条件でやっと見えるかどうかのようですが。

私が疑問に思ったのは、「皆既」って何?ということです。

「皆既」を辞書で引くと「皆既食」の略とありました。つまりほかの使い方はほとんどしないのです。

意味的には、「皆月食」でもいいはずだし、中国では「月全食」というようです。

ただ、昔から日本では、「皆既月食」といいます。

問題は、「既」ですよね。

「既」は、もともとごちそうを食べて腹いっぱいになることを意味し、のちにそれが転じて、限度まで行ってしまう意から、「すでに」という意味を派生したもののようです。。

既=「食べつくす」、「・・・してしまう」という意味、「皆既」=「みんな食べつくす」、「全て食べつくす」となります。

なんとなく、納得いただけましたでしょうか。私は納得しました。
幹事報告 ☆幹事 山﨑 弘子 会員

1.神戸西RCとの合同例会が、12月9日(金)12:30から、ホテルオークラで開催されます。当クラブでは12月6日(火)の移動例会として全員登録となります。ご予定ください。

合同例会は、直近では本年5月に神戸西RCが当クラブに来訪されるかたちで開催されました。12月は当クラブが神戸西RCの例会を訪問します。

2.本日、神戸学院大学附属中学・高等学校でIAC例会があり、大谷会員、岩﨑会員、奥田会員、山﨑が出席しました。次回は12月13日(火)16:30からAL教室で開催されます。

3.本年5月に開催されたRYLAセミナーの報告書が届きました。回覧いたします。

以上

卓 話

「 藤田嗣治 」
当 番 永井 幸寿 会員

1.藤田嗣治

今日は藤田嗣治,つぐはると読みます。フジタってどんな人だったの?の話をします。

藤田嗣治は,このような絵を描いている人です。図①

白い肌で,鼻筋が通った,額の広い,特徴のある顔の女性です。

戦前の日本人の画家で,外国で実力だけで勝負して,評価されて,生計を立てられた唯一の人です。戦後もこのような画家はほとんどいません。外国で最も高い評価を受けている日本人の画家です。

・しかし,これほどの実力があるのに,日本では広く知られておらず,展覧会も最近までほとんどありませんでした。藤田嗣治,どんな人だったのでしょう。

2.東京美術学校

・藤田は1910年,東京美術学校,今の東京芸術大学を卒業しました。これが卒業製作の絵です。図②

黒っぽい服,やや斜めに向いて,鋭い横目でこちらを見ています。強い意志を感じる絵です。藤田の先生であった黒田清輝は,この絵をみんなの前で「悪い絵の見本」と酷評しました。なんでそんなことを言ったのでしょう。黒田先生の絵を見てみましょう。図③

湖畔という絵ですが,陽光の下で明るい色で画かれています。黒田先生はパリで印象派の流れをくむ画家の元で絵を習いました。黒田先生からすれば,藤田の絵は陽光がなくて,全体に暗く,人の意志が強すぎるということですね。

3.パリ留学

・先生に酷評された藤田は,パリへの留学を父に頼み,父は30歳までは支援すると約束してくれました。理解のある人ですがどんな人だったのでしょう。これが藤田が書いた父の肖像画です。図④

軍人で厳めしい顔をしていました。軍医で軍医総監という軍医の最高の地位まで昇進ました。軍医なら「絵描きなんかではなく医師になれ」とか「軍人になれ」と言いそうですが,大変理解のある人でした。

1913年,26歳で渡仏しました。多くの日本人がパリに留学していましたが,ほとんどの人がアカデミーの教室に通って先生の技法を学んでいました。藤田はアカデミーに通わず,自分でルーブル美術館に何度も通い,また,若い画家達と交流して絵を描きました。当時の藤田の絵ですが,誰かに似ていませんか。図⑤

ピカソです。ピカソと会って絵を初めて見たとき,その自由さに驚き感動しました。下宿にかえって黒田先生の勧めた絵の具をたたきつけました。さぞ気持ちよかったでしょう。そして,黒田先生の印象は風の画法は捨てました。この絵も藤田の絵です。誰かの絵に似ています。図⑥ モディリアーニです。モディリアーニと仲が良く,モディリアニ-が友人と喧嘩すると,藤田は何時も仲裁する役でした。

4.偉大な乳白色

・藤田は1日14時間,長いときは18時間絵を描きました。やがて,藤田独自の絵を確立しました。図⑦「舞踏会の前」です。

女性の肌が「偉大な乳白色」と言われパリで高い評価を受け,サロンに入選を繰り返しました。一躍パリの寵児となりました。これが当時の藤田の自画像です。図⑧

おかっぱ頭に,ロイド眼鏡,ピアスをしています。左に墨と硯が描いてあり,日本の筆を持っています。

図⑨は「タピスリーの裸婦」です。藤田は日本の技法を使っており,浮世絵の技法と同じく女性の肌は絵の具をぬるのではなくキャンパスの下地をそのまま残しています。白の周りは日本の墨を筆で輪郭線を描いて強調しています。この白の下地は研究を重ねて独自に開発したものです。藤田は1925年レジオン・ドヌール勲章を授与されました。

・日本人が外国で評価されると,日本でも評価されるようになりますが,藤田はどうだったでしょう。当時の評論家はこう書いています。「藤田が騒がれるのは,作品ではなく,変な服装と宣伝のためである。」「藤田の作品は,低級なものであり,日本の恥である。」あいつだけなんで,というやっかみですね。

なぜ日本人で藤田だけが評価されたのでしょう。外の日本人は先生の絵を忠実にまねするだけでオリジナリティーがありませんでした。藤田だけが自分の個性を出せたのです。

5.南米,日本

・この後,1929年の世界大恐慌が起こり絵が暴落しました。藤田は新しい表現を模索して南米に行きました。作風をがらりと変えました。図⑩

鮮やかな色彩と,強い表現がなされています。その後日本に帰って来ました。図⑪

この絵は魚河岸の絵ですが,実物は大変な迫力です。魚河岸で働く人の誇りと強さを感じさせる絵です。

これは沖縄の老婦人です。図⑫

これも,人間の尊厳と言いますか,その人の経験や智恵などが強く伝わる絵です。

6.戦争画

・藤田は日本の画壇に慣れ親しもうとしましたが,日本の画壇は受け入れてくれませんでした。そして,戦争が始まり,軍が画家に戦意高揚のために戦争画を描くよう協力を求めました。藤田も戦争画を画きました。作風が又を変えました。図⑬ノモハン事件の絵です。ソ連の戦車に日本軍は火炎瓶で突撃しました。この絵は絶賛されました。

戦争画は全国に巡回されました。藤田も日本の役に立ちたいと思い戦争画を熱心に画きました。これはサイパン島の民間人の玉砕の図です。図⑭

また,藤田も戦争画というものに興味を持ちました。戦争画は外国にはありますが日本にはなかったのです。藤田の絵に多数の国民が感動し,絵の前で手を合わせる人もおり,藤田は高く評価されました。この時期になって,ようやく藤田は日本に受け入れてもらえました。藤田は本当に嬉しかったと思います。

7.戦争責任

・しかし,1945年敗戦になりました。GHQが進駐して,政府の高官や政治家が責任を問われました。画壇でも有名な画家達が戦争に協力していたので,責任がどうなるか問題となりました。ある日,藤田の後輩が藤田の所に来ました。後輩は

「GHQに出頭して,画家を代表して戦争責任を負ってください。」と言いました。藤田は一言も文句を言わず,これを承諾しました,泣いている後輩を駅まで送りました。しかし,GHQは画家の戦争責任を追及する気はなく,これは単なる取り越し苦労だったのです。

・3年後,1949年,藤田は妻とパリに向けて出国しました。そして,2度と日本には帰りませんでした。このとき,藤田は「画家は絵だけ画いてください。仲間喧嘩はしないでください。」とだけ言い残しています。藤田は1955年,フランス国籍を取得しました。日本の国籍法は二重国籍を認めてないので日本の国籍はなくなりました。藤田はフランスでも画家の活動を行い1957年,2回目のレジオン・ドヌール勲章を受賞しました。1959年にカトリックの洗礼を受けました。

日本は藤田このことについてどう見ていたのでしょう。「政治のことはいっこうに知りませんと言いながら,戦争になると,罪のない人民を死地にかりたてる作品を描く。藤田嗣治はそんなことをしておいて,敗戦したら日本国籍を捨てて,平気でフランス人に化ける。こんな者を芸術家といえるであろうか。」これが日本の藤田への見方でした。でも,藤田が日本を捨てたのではなく,日本が藤田を捨てたのではないかと思います。

8.フランスでの活動

藤田はフランスで,子供ばかり書くようになりました。図⑮

大人というもの失望したのか,将来をになう子供に期待したのか,理由はわかりません。

また,宗教画も描くようになりました。そして,小さな教会を建てて,壁に壁画を描きました。図⑯

これはフレスコ画という絵で,漆喰の壁をつくり,この壁が乾く前に画く絵です。高い技術と体力が必要です。藤田は79歳になってからこの技法に挑戦しました。教会は1966年に完成しました。マリアと端に藤田と妻君代さんが画いてあります。藤田は完成の2ヶ月後に病気となり,1968年亡くなりました。

藤田は,どんな気持ちだったのでしょう。日本が嫌になったのでしょうか。藤田は批判されても決して反論しなかったので真意はわかりません。藤田は妻の君代さんに言っていたそうです。「私は責任を取って日本を離れたんだけど。」

9.死後の評価

藤田の死後,日本から藤田の全集を出したいと何回か申し出がありましたが君代さんは断りました。また,日本人との交流も積極的にしませんでした。「誤解されるのなら忘れて欲しい。」と言っていました。それで,日本では展覧会もなく,世界的に有名であるにもかかわらず最近まであまり知られていなかったのです。藤田について書かれた本がありますが,読んでいて気分が悪くなるようなことが書かれています。ようやく,日本で藤田を客観的に評価するようになり,2018年藤田の没後50年の回顧展が開かれました。

10.美術館

藤田嗣治の絵,「舞踏会の前」は,倉敷の大原美術館にありますので,機会があれば見に行かれたらと思います。

出席報告

☆出席担当 髙井 敏郎 会員

11月 8日 出席者 23名(ZOOM 2名を含む)
11月 1日 出席者 24名(ZOOM 2名を含む)
10月25日 出席者 22名(ZOOM 2名を含む)

委員会報告

☆親睦活動委員長 志磨憲一郎 会員
新入会員 前原 義浩 会員へ
茂木立会長よりバッジ授与

☆青少年奉仕委員長 岩﨑 重暁 会員
ペットボトルキャップリサイクル
IACから預かったキャップと
神戸中RCで集めたキャップ(約4.2kg弱)を合わせて合計45.0kgを
髙井会員のご協力をいただき、大栄環境社に持ち込みました。

☆なかよし会 山﨑 弘子 会員
ゴルフ同好会 なかよし会「第 120 回記念大会」開催
12月8日(木)@美奈木ゴルフ倶楽部
表彰懇親会 18:00~ @イタリアン 『 ドンナロイア 』

☆RID2680インターアクト小委員長 大谷秀明会員
11月3日 インターアクト米収穫祭に山本会員と参加してきました。
@豊岡市立竹野こども体験村

第 38 回インターアクト地区年次大会開催
2022 年 11 月 23 日(水・祝)10:30 @ネスタリゾート神戸
不参加でもTシャツ購入希望の方はお知らせください。

その他の報告

ニコニコ箱

☆副SAA 細谷 眞弓 会員

茂木立仁  さん  前原さん入会おめでとうございます。井本さんようこそ中ロータリーへ
山﨑弘子  さん  前原様 ようこそ神戸中RCへ。井本様 ようこそお越しくださいました。
國田正博  さん  バースデープレゼントありがとうございます。前原さん入めでとうございます。
岩﨑重曉  さん  井本さん ようこそ神戸中RCへ 入会されるのを楽しみにお待ちしております。
大谷秀明  さん  前原様 ご入会おめでとうございます。 井本様ようこそ中RCへ
松本考史  さん  前原様 今後ともよろしくお願いいたします。井本様 ようこそ神戸中RCへ
加藤有加里 さん  前原さん 入会おめでとうございます。改めまして ロータリークラブでも 宜しく お願い致します。

例会予定

例会予定

☆2022年 12月  6日(火)移動例会のため 休会
12月 9日(金)「神戸西ロータリークラブと合同例会」に移動

☆2022年 12月  9日(金)第1390回移動例会 
「神戸西ロータリークラブとの合同例会」

☆2022年 12月 13日(火)第1391回 例会
「 新入会員自己紹介 」 当   番  前原 義浩 会員

☆2022年 12月 20日(火)移動例会のため 休会

12月 23日(金)「クリスマス家族会」に移動

☆2022年 12月 23日(金)第1392回 移動例会
「 クリスマス家族会 」 当   番  親睦活動委員会

☆2022年 12月 27日(火)定款により休会

本日のRCソング・BGM

☆11月15日のRCソング・BGM ピアノ演奏 森田 純子 さん

ロータリーソング
「もみじ」

BGM
「Someday My Prince Will Come」 「Triste Coeur」  「Etude I」