台北YMCAスタッフと懇談
午前8時30分から馬場主事(大阪YMCA)、游主事(大阪YMCAに出向経験あり)、偕主事(文山ブランチ所長)、12時過ぎより李信福総主事も合流して懇談した。台北のスタッフから救援活動はどのように遂行すべきかの質問されたので、救援も事業活動もプログラムの立案、実施においては何ら代わりはない。まず情報収集、ニーズの把握、プログラムの立案、実施、そしてマネージメント、良いプログラムディレクターは良い救援プログラムディレクターになれることを強調し、台中YMCAのスタッフにも言ったように、
1.YMCAが救援本部を設置すれば、「ボランティア・救援物資・義援金」は必ず集まる。なぜなら、YMCAは世界一歴史と信頼のある国際奉仕団体である。私はマスコミに、YMCAはいつからボランティア活動を始めたか聞かれたら、必ず150年前からと答えていた。YMCAのスタッフとしての自覚と誇りを持って欲しい。
2.世界NO1の国際奉仕団体YMCAの信頼によって、YMCAとワイズだけではなくロータリー・JC・商工会議所等々、現在の数倍、数十倍の規模支援が世界中から集まる。
1.YMCAが救援本部を設置すれば、「ボランティア・救援物資・義援金」は必ず集まる。なぜなら、YMCAは世界一歴史と信頼のある国際奉仕団体である。私はマスコミに、YMCAはいつからボランティア活動を始めたか聞かれたら、必ず150年前からと答えていた。YMCAのスタッフとしての自覚と誇りを持って欲しい。
2.世界NO1の国際奉仕団体YMCAの信頼によって、YMCAとワイズだけではなくロータリー・JC・商工会議所等々、現在の数倍、数十倍の規模支援が世界中から集まる。
3.被災者にとっても被災YMCAにもメリットのある救援活動を行う、被災地の子供たちを対象とした心のケアーのためのキャンプは、YMCAのキャンプ場で行う、同じく高齢者のリフレッシュを台北のYMCAホテルを使って行う、また海外キャンプ(西宮YMCAの場合ニュージーランドの団体の支援で交流キャンプに行き、西宮市から感謝表彰された)国際救援ワークキャンプを組み、日本や世界のYMCAから青年を集めて、台中のYMCAのキャンプ場の修理を行う、などなどアイディアはいくらでも考えられる。
4.たとえば被災YMCAが子供の心のケアーのキャンプを実施する場合、スタッフが不足すれば、ワイズメンやにロータリーアンに引率をお願いし、同時に協賛金もお願いする等を考えてはどうか。西宮YMCAでは、避難所等になって授業の再開ができていない小学校の校長先生と交渉して、子供の遊び隊と称してYMCAの青少年ボランティアを学校に送っていた。また、その避難所に出向き炊き出し隊、引っ越し隊、医療チームの派遣などの救援活動を行っていたため、国内外のキャンプを組んだときも、学校で参加者を人選までして送ってくれた。以上西宮YMCAの救援記録を元に助言をした。李信福総主事からは、早速偕主事を本部長として、游主事、馬場主事ほか6名を中心として救援本部を設置する旨決意を聞き、今後の協力を約束して台北空港に向かった。
4.たとえば被災YMCAが子供の心のケアーのキャンプを実施する場合、スタッフが不足すれば、ワイズメンやにロータリーアンに引率をお願いし、同時に協賛金もお願いする等を考えてはどうか。西宮YMCAでは、避難所等になって授業の再開ができていない小学校の校長先生と交渉して、子供の遊び隊と称してYMCAの青少年ボランティアを学校に送っていた。また、その避難所に出向き炊き出し隊、引っ越し隊、医療チームの派遣などの救援活動を行っていたため、国内外のキャンプを組んだときも、学校で参加者を人選までして送ってくれた。以上西宮YMCAの救援記録を元に助言をした。李信福総主事からは、早速偕主事を本部長として、游主事、馬場主事ほか6名を中心として救援本部を設置する旨決意を聞き、今後の協力を約束して台北空港に向かった。
台湾見聞記 大阪大学人間科学部2年 山口 宰
今回台湾を訪問して、一番感じたものは”勢い”である。軍事費が国家予算の半分を占めていた冷戦時代が終わり、李登輝総統の時代に入った今、台湾の経済発展はまさに飛ぶ鳥落とす勢いと言えよう。人々は携帯電話を持ち、若者は最先端の流行に敏感に反応する。町にはブランドショップが立ち並び、世界中の自動車が所狭しと駆けめぐる。海外企業の広告が至るところで見受けられ、世界中から資本投入が行われていることを肌で感じることができた。
しかし、今回の震災はその急激な発展が生み出している微妙な歪みを浮き彫りにしたのではないだろうか。倒壊した建物から数多くの空き缶等が現れた映像は世界中で放映され、人々を驚愕させた。震災で多くの人々が苦しんでいるというのに、隣の被害を免れた町では「吾関せず」と言った顔で、何一つふだんと変わらない贅沢を繰り返している町の様子も、阪神大震災における過剰ともいえる「自粛ムード」を経験した私にとっては非常な驚きであった。
だが悲観することはない。一歩路地に入ればそこには旧き良き時代の町並みがあり、マイペースで生きる人々がいた。経済的には確かに「取り残された」部分なのかも知れない。しかし地震の直後、台湾の人々は何の抵抗もなくボランティア活動に従事したという。日本では「ボランティア元年」などといって騒いでいたことが、台湾では自然に行われた、というのを聞き大変安心した。我々日本人が遠い昔に置き忘れてしまったものが、台湾の人々の心には生きていた。
台北のホテルではNHKの大河ドラマ「元禄繚乱」が1週遅れで放映されていたし、地元のTVでも日本人歌手が紹介されていた。日本の雑誌が北京語に翻訳されたものが書店でもスペースをとり、キャラクターグッズも日本のものが流行していた。不幸な歴史があったとはいえ、今再び日本と台湾の関係は密接なものになってきている。日本人もさらなる手助けをするべきだと思う。
繰り返すが、台湾の勢いは燎原の火も顔負けである。この調子だと、震災をステップにしてさらなる発展を遂げるであろう。被災者の方々に追悼とお見舞いの意を表すのと同時に、1日も早い復興を切に望む次第である。
しかし、今回の震災はその急激な発展が生み出している微妙な歪みを浮き彫りにしたのではないだろうか。倒壊した建物から数多くの空き缶等が現れた映像は世界中で放映され、人々を驚愕させた。震災で多くの人々が苦しんでいるというのに、隣の被害を免れた町では「吾関せず」と言った顔で、何一つふだんと変わらない贅沢を繰り返している町の様子も、阪神大震災における過剰ともいえる「自粛ムード」を経験した私にとっては非常な驚きであった。
だが悲観することはない。一歩路地に入ればそこには旧き良き時代の町並みがあり、マイペースで生きる人々がいた。経済的には確かに「取り残された」部分なのかも知れない。しかし地震の直後、台湾の人々は何の抵抗もなくボランティア活動に従事したという。日本では「ボランティア元年」などといって騒いでいたことが、台湾では自然に行われた、というのを聞き大変安心した。我々日本人が遠い昔に置き忘れてしまったものが、台湾の人々の心には生きていた。
台北のホテルではNHKの大河ドラマ「元禄繚乱」が1週遅れで放映されていたし、地元のTVでも日本人歌手が紹介されていた。日本の雑誌が北京語に翻訳されたものが書店でもスペースをとり、キャラクターグッズも日本のものが流行していた。不幸な歴史があったとはいえ、今再び日本と台湾の関係は密接なものになってきている。日本人もさらなる手助けをするべきだと思う。
繰り返すが、台湾の勢いは燎原の火も顔負けである。この調子だと、震災をステップにしてさらなる発展を遂げるであろう。被災者の方々に追悼とお見舞いの意を表すのと同時に、1日も早い復興を切に望む次第である。